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LGBTsニート

NEET株式会社LGBTs事業部のブログです

LGBTsの「かつての」子どもたちへ

LGBTs事業部なんてものを立ち上げて、代表をやっている以上、LGBTsの問題について勉強していくのは当然のことで。
毎日、関連文献を読んでいるのだけど、進みが遅い。
つまんないとか、難しいとかではない。
むしろ興味があるから読んでいるのだし、今読んでいるのは一般向けの易しいものばかりだ。

進まない理由は、読んでいて苦しいところが多々あるからだ。正直、こうなることは、事業部を始めるときから、ある程度予想していたことではある。

僕は最近まで、この事業部を立ち上げる前まで、ほとんどLGBTsのこととか、ジェンダーのこととかを考えずに過ごしてきた。避けていたといってもいい。なぜなら苦しくなるから。

考えずに、といっても、性同一性障害の当事者なので、どうしてもその問題に直面せざるを得ないときは、結構あった。
たとえば性同一性障害の治療で病院に行ったときなんかは、真っ正面からその問題に向き合うことになる。
こう思われる方もいるかもしれない。治療のときも苦しくなるの?治療が進んで、どんどん自分の望む身体に近づき、希望や喜びがあるのでは?と。
たしかにそういう部分はある。
それでも僕は、病院に行く度に、憂うつな気分になっていた。

それでもこんな事業部をやろうと思えたのは、手術が決まって、ある程度精神的な余裕ができたからだ。
そして、手術が終わり、痛みなどがなくなってきた今、かなりの精神的楽さと解放感を覚えている。正直、想像以上。世界というのはこんなに明るいものか、生きるのはこんなに楽なものか、と思える。
そういう状態になったから、LGBTsのこともちゃんと勉強しようと思った。

が、やっぱり苦しい。読むのが辛い。
とはいえ、いまや、それに向き合えないほどの辛さではなかった。
それに、LGBTs事業部を作っておいて、それの代表なのに、LGBTsに関する知識がないと思われることの方が嫌だ。

そういうわけで、まず、「なぜこの本を読むと自分はつらいのか」を考察してみることにした。
方法としては、つらいと感じる部分をすべて抜き出し、その内容の特徴やそれらの共通点を探ってみる。

そうすると、つらいと感じる部分とは、以下のようなものだとわかった。

・現在では、学校でトランスジェンダーの児童生徒に対し、様々な配慮がなされており、制服やトイレの使用、部活等で希望する性として扱う場合がある。
・現在では、ホルモン治療が最も早くて15歳から開始でき、それ以前の年齢でも、二次性徴抑制療法が受けられる。
・20代前半ぐらいまでの若い人が、手術を終えて戸籍も変更し、結婚したり就職してうまくいっているような体験談。

これらはすべて、自分が得ることのできなかったものだ。
でも今は、ホルモン治療もして、手術や戸籍変更もしたんだから、全部手に入ったんでしょ?と言われるかもしれない。
たしかに今はそうだ。
しかし僕は、小学生時代も中学生時代もすべて潰した。高校時代も、とても治療を受けたかったけど、当時は受けられず、死にたい思いの中で生きていた。(当時はホルモン治療は20歳から)
ようやく30代で手術も戸籍変更もしたけど、もはや新卒でもない、職歴もアルバイトだけ、貯金はゼロ。ここからようやくスタート地点に立てたというだけ。そして、もはや大学を出たばかりの20代前半ではない。
だから自分には、実は何一つ上記のものは手に入っていない。
そういうふうに思ってつらいのだとわかった。

でもこれで、僕のやるべきことの一定の方針が明確になった。
結論としては、僕は暗くネガティブに後ろ向きに、活動をするのだ。

どういうことかを説明する。
まず僕は、今の子どもたちや若い世代のセクシャルマイノリティたち、とくにトランスジェンダーには関心がない。
そういう人たちは、いまやいろいろな支援を受けられる。学校も配慮してくれれば、医療の道も開かれている。
もちろん支援が必要なことは否定しない。だけど僕が何をしなくても、すでに支援してくれる人はたくさんいるので、その人たちに任せておけばいい。

だけど、支援が受けられないLGBTsの子どもたちがいる。
それは「かつての」子どもたちだ。
暴力や偏見にさらされ、医療にも見放され、誰にも理解されない孤独のなかで苦しんでいた、いや、今でも苦しんでいる。
その子どもたちへの支援をすることも必要ではないだろうか。
それは、大人になったその子たちが治療を受けられるようにすることだとか、大人へのサポートとはまた違う。それは、現在の大人のセクシャルマイノリティへのサポートである。
それも大事なことではあるけど、それもまた、他の人がやっているから、任せておけばいい。
僕が言っているのは、あくまで「かつての」子どもたちへのサポートなのだ。

それはどうやってやるのか。正直なところ、途方にくれるレベルで僕にもわからない。
なんせ、その子たちは過去にいるから、現在における物理的支援は不可能だ。
だからといって、諦めるわけにはいかない。
「そんな過去のことは忘れて、未来に目を向けて、これからのことを考えていこう」などと簡単に言うことはできない。
それは「かつてのあなたの苦しみなど、もはやどうにもならないことなのだし、とるに足りないことなのだ」と言われるようなものだ。
たとえ過去にいようとも、誰にも助けてもらえずに苦しむ子どもを見放すことだ。

だから僕は、あえて未来ではなく、前ではなく、過去を見て、後ろを向いて進もうと思う。
それはたぶん、明るい道ではなく、暗い道だと思う。
希望ではなく絶望に向き合うことだと思う。
それが暗くネガティブに後ろ向きに活動するということの意味だ。

明るく元気でポジティブじゃない人間にも、生きている意味はあるはず。


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